新年度が始まって、少し経った頃。気候もようやく落ち着いてきて、外に出るのが気持ちよくなってくる時期だ。子供たちもクラスに馴染み始め、なんとなく一体感が生まれてきた頃でもある。

そして、そろそろ運動会が近づいてくる。

年に一度の「推し」の晴れ舞台

「我が子こそが世界で一番の推しだ」と思っている親御さんは、きっと少なくない。そこまでではないとしても、練習がどうなっているのか、本番はどんな顔をして走るのか、気になっていることはたくさんあると思う。

なぜ運動会がこんなにも特別に感じるのかというと、練習も本番も、学校の中でしか見られないからだと思ってる。

宿題なら毎日家でやっている。でも、机に向かってドリルを解いている子供を、親がつきっきりでニヤニヤしながら眺める、なんてことはまずない。それが当たり前の日常だからだ。

ところが運動会は違う。グラウンドで大縄を跳んでいる姿も、リレーのバトンを受け取る瞬間も、家では絶対に見られない。この普段感じ取ることのできないレア感みたいなものが、それを目に焼き付けたくなる熱量に変換されるんだろう。

成長しているのに、気付けない

子供は毎日成長している。それは間違いないことだ。でも、毎日一緒にいると、そのことに気付きにくい。

たとえば、1年間で10cm背が伸びたとしたら月に1cm近く伸びているはずなのに、誰も身長が伸びる瞬間を目撃しない。「気付いたら大きくなってたな」という感覚はあるけど、日々の変化が小さすぎて目に入らないからだ。たまに親戚なんかに会うと「〇〇くん、大きくなったわね〜」なんて言われたりするけど、本人も親側もポカン、だったりする。

それは身体の話だけじゃない。できなかったことができるようになっていくのも、同じように「気付いたら」の話になりがちだ。

運動会の練習でも、最初から上手くできる子はほとんどいない。跳べなかった大縄が跳べるようになる。バトンをうまく渡せなかったのが、スムーズに渡せるようになる。ダンスの振り付けが、気付いたら身体に染み付いている。

そういう積み重ねは、本人もあまり自覚していないことが多い。でも、日々のちょっとした反復が、確実にプラスの方向へ向かっている

繰り返すことの地味な意味

練習というものは、僕は苦手だけどやるべきものだし、やらないと不安だという人もいるかと思う。

例えば鍵盤ハーモニカなりリコーダーなりは、同じ曲を何十回と吹かされる。最初はみんなリズムはバラバラ、同じ楽譜とは思えない音が聞こえたりもする。でも、いつの間にかみんな同じ様にできてくる。

繰り返すことには、すぐには見えない蓄積がある。1回1回の練習で何かが劇的に変わるわけじゃない。でも積み重なったとき、ある日突然「できた」という瞬間が来る。その瞬間は本人にとっても驚きだったりするし、見ていた側にとっても「いつの間に」という驚きになる。

運動会の練習もそうだ。毎日同じ動きを繰り返す。うまくいかない日もある。疲れてやりたくない日もある。でもそれを続けることで、本番の日に「できた」が来る。その「できた」は、繰り返しの数だけ積み上げられたものだ。

「毎日やること」の意味は、その最中にはなかなかわからない。子供自身はもちろん、見ている側にとっても、練習の積み重ねがどこへ向かっているのかは途中では見えにくい。でも終わってみると、確実に何かが変わっている。それが「継続」というものの正体なんじゃないかと思ってる。

数週間の練習期間、子供たちは毎日同じことを繰り返す。飽きることもあるだろうし、うまくいかなくて嫌になる日もあるはずだ。でもクラスみんなで同じことを繰り返しているから、一人でやるときと違う力が働く。「あいつも頑張ってるから自分も」という感覚は、言葉にされなくてもグラウンドの中に漂っている。

学校で覚えてくることの多さ

運動会の練習では、クラスのみんなで一つのことに取り組む中で、誰かが「こうやるといいよ」と声をかける場面もあれば、うまくいかなくて口論になる場面もある。そのどちらも、親が教えようとして教えられることじゃない。

大縄跳びで自分が引っかかってしまったとき、クラスの誰かがどんな顔をするか。リレーで転んでしまったとき、周りがどう動くか。そういう経験が積み重なって、学校という場でしか育たないものが育っていく。

そういったことは、なにも運動会みたいな特別な行事だけで起きるわけじゃない。子供が学校から帰ってきたとき、何かを話しかけてきたことがあるとしたら、それはたいてい学校で誰かに聞いた話だったりする。

「友達がこんなこと言ってた」「給食でこういうことがあった」「先生がこんな話してた」──親が意図的に教えようとしていないことが、次々と吸収されて帰ってくる。

子供は学校という場で、親の目の届かないところでいろんなことを覚えてくる。 知識だけじゃなく、誰かとぶつかる経験も、折り合いをつける経験も、うまくやる方法も、全部外で仕入れてくる。

みんなと一緒にやることで変わること

集団の中で何かをやることが、成長のスピードを変える。運動会はまさにそういう場だ。クラス全員で同じ目標に向かって練習する。うまくいかなくて笑いが起きる。誰かが励ます。もう一回やる。

それが繰り返される中で、身体の使い方だけじゃなく、場の空気の読み方や、他の誰かのことを考えながら動くこと、そういうものが一緒に育っていく。

一人でドリルをこなしても身につかないものが、グラウンドの練習の中では自然と身についていく。それは、隣に誰かがいるからだと思っている。

「好き」が見えにくい時期もある

子供がやっていることに、親が「これが好きなんだな」と気付くのは、意外と難しい。

「なんとなくやっている」「やらされている」「本当は嫌かも」──そういう状態と、「じわじわと好きになってきた」「ちょっとだけ楽しくなってきた」の違いは、外から見るだけではわかりにくい。

でもそれを見極めようとすることが、大事なんじゃないかと思ってる。「今日の練習どうだった?」とさらっと聞いてみるだけでいい。「楽しかった」「疲れた」「ちょっと嫌だった」、どんな答えが返ってきても、それが会話の糸口になる。

子供の「好き」は、本人だけで見つけるのは難しいと思っている。「何が」「どうして好きか」をまだうまく言語化できないことも多いだろうし、なによりも見える視野、もっと言うと見える世界が違うからだ。無理に与える必要はない、ただ、見せてあげること、やらせてあげることは選択肢を格段に拡げる。知ってるものが増えてから選ぶ方が、本人がその後続けていくときの納得感と原動力に繋がる。させてあげられる経験は、一つでも多く与えてあげたい。

好きなことが見つかると、繰り返すことが苦でなくなる。苦でなくなると、続けられる。続けられると、気付いたら上達している。そのサイクルは、「好き」を見つけるところから始まることが多い。

「僕は練習が苦手」と書いたが、このサイクルにハマったものは夢中でできた。それは「練習」や「努力」という言葉ではなく、「好きだからやってる」になっていたんだろう。

好きなことを一緒に見つけて、成長したらしっかり褒めて、輝いている瞬間を目に焼き付ける。そうすれば、「推し」の応援で満たされた日が毎日のようにやってくるかも知れない

輝いている瞬間を見逃さないために

運動会当日、子供たちはどこかいつもと違う顔をしている。緊張していても、うまくいかなくても、グラウンドに出ている顔は普段とは違う。練習でうまくいかなかったことが本番でうまくいったとき、その子の表情は明らかに変わる。ガッツポーズをするわけじゃなくても、顔がほんの少しだけほころぶ。

そういう瞬間は、見ていないとわからない。

成長したときは、しっかり褒めてあげてほしい。そのとき何ができるようになったのか、具体的に言葉にしてあげると、子供に届きやすい。「速かったよ」より「バトン渡すの、去年よりずっと上手くなったね」の方が、ちゃんと刺さる。

時間が許す限り、見守ってあげてほしい。その場にいるだけで、子供にとっては違う。

日々の積み重ねは、地味で目立たない。でも確実に前へ進んでいる。運動会はそのことを、一気に実感させてくれる場でもあると思ってる。

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