人は一人では生きていけない。よく聞く言葉だし、当たり前すぎるくらいな事実だ。精神的な支えはもちろんのこと、衣食住を一人でまかなうなんてまず無理で、だからヒトは自然に「社会」というものを生み出し、役割分担しながら地球全域に広がってきた。

それでも、孤立してしまう人たちがいる

とはいえ、現代社会において「ぼっち」みたいな状況の人は少なくない。

学校や職場に馴染めなくて家にこもる子、仕事以外の会話は交わさず、帰宅すれば動画やSNSに居場所を求めている大人。もう少し深刻なところだと、世界から孤立してしまったように感じるまで思い詰めた育児ノイローゼのお母さん、一人暮らしを余儀なくされる高齢者。

「ひきこもりの特効薬」みたいなものがあればいいけど、残念ながら売っていない。そこに至るまでのきっかけは人それぞれで、しかも原因が1つとは限らない。いろんなことが積み重なって、いろんな状況が生まれる。

「ちょっと外の空気を吸うだけでも」とか「なにか始めてみたら?」という言葉は、当人たちにはなかなか響かない。「それができればこんなことになってない」というのが本音だったりするだろう。僕も「そっち側」にいたことがあるから、全部が同じではないにしても、少しだけ気持ちはわかるつもりだ。

ハニホヘトイロは、今はとっても小さい

ハニホヘトイロはとっても小さいコミュニティだ。デジタルに興味がある子とその親御さんが集まって、毎回何かをつくる。20人入る教室がいっぱいにならないくらいの人数で、「なにか壮大なものを創り上げる」なんて夢のまた夢だ。できることは、相当限られている。

ただ、僕はこのハニホヘトイロを大きなコミュニティへ育てていきたいと思っている。教室が一杯になり、新しい拠点が増え、拠点同士がチャットツールで繋がっていく。そういう未来を描いてる。

ハニホヘトイロは今のところ「デジタルに興味がある子とその親御さん」を主軸にしている。だから当然、子育て中のお母さんたちが多い。育児で頭がいっぱいになって、自分の話ができる相手がいない、なんて状況の人が来てくれたとして、「子育てあるある」を共有できる人はここにいる。それだけでも、少し楽になることがあるかもしれない。「デジタルコミュニティ」である前に、人同士がリアルに交流する場なのだ。

もちろん、年配の方が来てくれても全然構わない。「送られてくる孫の写真の見方がわからなくて」というきっかけでも、十分だ。入り口の形がなんであれ、扉さえ開ければ広がっていく。誰かに教わって、誰かに教えて、それが自然に起きる場所でありたいと思ってる。

コミュニティに参加すると、こんなことがあったりする

「メリット」と強く言うつもりはない。ただ、大きくなったコミュニティでは、こんなことが起きやすくなる。

世代もジャンルも違う人と、普通に話せる機会が増える。
デジタルというテーマは、子どもも大人も入り口が近い。小学生がゲームの話をしていたら、隣のお父さんが「それ、昔やってた」となる。そこから「じゃあこれ教えて」になることがある。年齢や立場は関係なくなる。親以外に頼れる大人がいるって、実は結構重要なんじゃないかと思う。

自分の「得意」が、誰かの「助かる」に変わることがある。
絵を描ける子、プログラムを書ける子、文章をまとめるのが得意な大人。コミュニティが大きくなると、拠点をまたいでゲームを作ったり、何かを一緒に作り上げることが現実的になってくる。そのとき「私、これできるよ」が、ちゃんと力になる。

居心地のいい場所が、1つじゃなくてよくなる。
コミュニティは大きくなるほど
多様性を持つ。違った方言でわいわいする人もいれば、もくもくと作業する人もいる。合う人も合わない人もいる。そのぶん、「この人たちとなら話せる」という組み合わせが増える。居心地のいい場所が1つとは限らない。

合わなければ、無理に付き合う必要はない。それだけは最初に言っておきたい。

損することも、ちゃんとある

正直に書く。

時間は取られる。
集まること自体にコストがかかる。移動があって、準備があって、ときに疲れる。孤独が楽だと感じている人には、それが負担に映ることもある。

摩擦も起きる。
人が増えれば、意見がぶつかることもある。「なんでこの人こんな言い方するんだろう」と思う場面もゼロではない。相手には相手なりの思いがあってのことなんだろうけど、人の心を読むのは難しい。

期待と現実がずれることもある。
「こういう出会いがあるはず」と思って来てみたら、そうでもなかった、というのはある。コミュニティは、期待通りに動いてくれるわけじゃない。

それも全部含めて、コミュニティに参加することなんだと思ってる。きれいな面だけを見せるのは違う。

それでも、大きくしていく意味はあると思ってる

コミュニティが大きくなって、人が増えて、得意が集まって、誰かが誰かと何かをつくれるようになる。そのとき「自分がそれを創ったんだ」と胸を張れる人が1人でも増えたら、ハニホヘトイロを拡げていく意味がある。

それが「なにか壮大なものを創り上げる」ということの正体だと思ってる。壮大さは最初からあるわけじゃなくて、人が集まって、動いて、積み重なった先についてくる。

「いまは人と繋がりたくない」「繋がれる場所や人がわからない」そんな人たちがふと立ち寄りたくなる受け皿でありたい。そう思いながら、ハニホヘトイロを続けてる。

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