塾のチラシに、たまにこう書いてある。「論理的思考を育むことが大事!」と。しかも、その塾に通えば我が子にそれが身に付くらしい。本当だろうか。先に答えを言ってしまうと、論理的思考はそんなにたいしたものじゃない。塾に通わなくても、特別な訓練をしなくても、普通に生きてるだけで誰でも毎日使ってる。

実はうちのホームページにも「論理的思考が〜」みたいなことを書いてたりするが、そんなに高い温度感ではない。ただ、それが「難しくて特別なもの」みたいに語られるのが、ちょっと違うと思ってる。

まず、赤信号で止まれる時点でもう論理的思考は使ってる

例として、自分の子でも、よその子でもいい、横断歩道の前に立っている子を思い浮かべてほしい。

信号が赤なら、立ち止まる。青になったら、右を見て、左を見て、もう一度右を見て、手を上げながら渡る。

たったこれだけのことだけど、ちゃんと論理になってる。「信号」という、状態が変わる条件があって、その条件に応じて行動を変えている。赤なら止まる、青なら進む。 プログラミングっぽく言えば、これはもう立派な条件分岐だったりする。

子どもはこれを、誰かに「論理的思考のトレーニングだよ」と言われてやってるわけじゃない。ただ、そうするのが当たり前だから、そうしてる。

ちょっとだけ難しくしてみる

信号の話だけだと簡単すぎるので、少しずつ複雑にしてみる。

まず一段。信号は青になった。でも、左から車が一台、止まりそうにない速さで近づいてくる。このとき、ほとんどの子は渡らない。青なのに、止まる。

これは「青なら進む」というルールに、「ただし、危なそうなときは別」という例外が乗っかってる。条件に優先順位がついて、上書きされたわけだ。これも、誰に教わったわけでもなく、みんな自然にやってる。

もう一段。今度はスーパーにいる自分を思い浮かべてほしい。財布には五百円玉が一枚。卵と食パンを買いたいが、できれば牛乳も欲しい。でも、全部買うと足りないかもしれない。卵の値段を見て、食パンの値段を見て、牛乳の値段を見て、頭の中で足し算して、足りるなら全部、足りないなら牛乳はまた今度。

これは「限られた資源の中で、条件を見て、優先順位をつけて選ぶ」という、それなりに込み入った論理だ。でも、別に特別なことじゃない。買い物の度に、みんな当たり前のようにやってる。

つまり「論理的思考」は「普通こう考えるよね」のこと

ここまで読んで、信号の話も、車の例外の話も、買い物の話も、すんなり理解できたと思う。

だとしたら、もう答えは出てる。あなたはすでに論理的思考ができている。それも、けっこうちゃんとしたやつまで。

論理的思考というのは、結局のところ「普通だったらこう考えるよね」「誰だってこうするよね」くらいのものなのである。難しい専門用語でも、一部の賢い人だけが持ってる特殊能力でもない。条件を見て、行動を決める。例外があれば、上書きする。限られた中で、優先順位をつける。——これを毎日やってる時点で、人はみんな論理的思考の使い手だ。

塾のチラシが言ってることが嘘だとは言わない。気持ちとしてはよくわかる。たしかに、論理的思考は意識して使えば伸びる。でも、ゼロから授けてもらうようなものじゃなくて、もともと誰もが持ってるものを、ちょっと整理したり、意識して使ったりするだけの話だったりする。

ゲーム作りは、その「普通」の寄せ集め

ここからが本題だ。

この「普通の論理」を、たくさん組み合わせると何ができるか。例えば、ゲームができる。

ゲーム開発というのは、大げさに言えば、論理的思考の寄せ集めみたいなものだ。「ボタンを押したらジャンプする」「敵に当たったらライフが減る」「ライフが0になったらゲームオーバー」。一つひとつは、さっきの信号と同じレベルの「条件と行動」でしかない。それを何十個、何百個と積み上げていくと、遊べるゲームになる。

教室でも、子どもがScratchやRobloxでゲームを作ってる隣で、親が動画編集を覚えてたりする。子どもたちは「論理的思考を鍛えるぞ」なんて思ってない。ただ、自分の作りたいものを動かすために、「こうしたらこう動く」を一個ずつ試してるだけだ。気づいたら、信号で止まるのと地続きのことを、画面の中でやっている。

Scratchみたいなツールを使うと、その「条件と行動」をブロックを並べるだけで組めるので、入口としてはちょうどいい。

何百万本は無理でも、友達と遊ぶゲームなら作れる

家庭用ゲーム機で何百万本も売れるようなゲームを作るのは、難しいかもしれない。それは論理的思考だけじゃなく、お金も人も時間も、いろんなものがいる。

でも、友達同士で遊ぶくらいのゲームなら、きっと作れる。何百万本のゲームと、友達と遊ぶゲームの違いは規模であって、頭の使い方そのものは変わらない。信号で止まれる人なら、土台はもう持ってる。

なぜそう言い切れるかというと、ハニホヘトイロには、ゲームを作る子どもや大人が実際にいるからだ。特別に選ばれた天才ではなく、普通に信号で止まれる人たちが、自分の作りたいものを少しずつ形にしている。

論理的思考は、そんなにたいしたものじゃない。たいしたものじゃないからこそ、誰でも当たり前のように使いこなせる環境が、あるに越したことはない。一緒になにか、作ってみませんか?

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