先日、国立の高専に通う学生と話す機会があった。
高専という学校を知らない人もいると思うので、先にそっちの話をする。高専は「高等専門学校」の略で、高校で学ぶ一般科目のほとんどを1〜2年で終わらせ、トータル5年かけて専門的な知識と技術を身につける学校だ。卒業時には短大卒相当の資格が得られて、専門職を求める大手企業からの求人倍率がかなり高い。国公立大学への編入も多く、そのまま修士、博士、研究職という道を選ぶ人も少なくないらしい。学科は機械、電気、化学、情報といった工業系が中心だけど、「商船高等専門学校」という船員を育てる学校もあったりする。
さて、高専生の話に戻る。
情報系の学科ではこれまで、いわゆるプログラミングを学んでそれを自分の武器にする学生が多かったそうだ。ところが今は、自分で設計した三次元のデータを3Dプリンターで出力して、それをプログラミングで動かす作品を作っている。つまり高専は「プログラムが書ける人」ではなく「プログラムを書くだけじゃなくて、人が見たり触ったりできるところまで作れる人」を育てようとしている。
理由を聞いたら、わりと単純だった。
「AIが出てきたので、プログラムで動かせるモノまで作る」ことが課題として出されている、と。
いまはまだ、AIに手放しで完全なプログラムを書かせるのは難しい場面も多い。でも、そんなのはあと数年もすれば現実のものになる、と見越してのことだろう。国の教育機関がそう判断している、というのはなかなか重い話だと思ってる。
AIが悪いのか
こういう話をすると「AIが仕事を奪う」みたいな方向に行きがちだけど、ちょっとだけ待ってほしい。
AIそのものが悪いわけじゃない。どんな道具だって、使い方を間違えれば人を傷つけかねない。ハサミだってそうだ。でも、だからといって「危ないから」と我が子にハサミを渡さない親はいない。正しい持ち方、どう扱うと自分が怪我をするか、人を傷つけてしまうとどうなるか。全部教えてから、手渡す。
AIも同じだと思ってる。
高専がやっていることは、AIを怖がって遠ざけることじゃなく、AIが当たり前にある未来を前提にして「じゃあ人間は何をやるのか」を組み直しているだけだ。プログラムはAIが書けるようになる。なら、人間はそのプログラムで動く「モノ」を設計して、形にして、世に出す。役割が変わるだけで、人間の出番がなくなるわけじゃない。
高専の判断が正しかったかどうか、いつわかるのか
たぶん、数年じゃわからない。
いま高専でカリキュラムを変えて学んでいる学生たちが社会に出て、実際に「モノを作れる人間」として現場で通用するのか。それとも、結局プログラムを書く力の方が求められる時代が続くのか。答えが出るのは、早くても彼らが卒業して何年か経ったあたり、あるいは十年以上先の話だろうか。カリキュラムが間違いだったと判断されたとしよう。そうなればそうなったで、高専はまた結果を見てカリキュラムを変えるだろう。
少なくとも高専は考えて動いた。AIという新参者を前にして、怖がって立ち止まるんじゃなく、自分たちなりの答えをこれからも出し続けていく。
じゃあ、あなたはどうだろう。
「自分がわからないものは怖い」、その気持ちはよくわかる。わからないから触りたくない。触りたくないから、ずっとわからないまま。でも、世間にはAIは便利だと使っている人がたくさんいる。何が危険で何が便利か、しっかり見極められるようになった方が、どう考えてもおトクだ。
そろそろ本気で考える頃合い
AIとの付き合い方について、「自分には関係ない」と思っている人もまだ多いんじゃないかと思う。でも、国の教育機関が数年先を見据えてカリキュラムを変えている。その事実だけ見ても、もう「関係ない」で済ませられる段階は過ぎているのかもしれない。
ハニホヘトイロでも、子ども向けにデジタルを教えている。AIの話に限らず、デジタルとの距離感みたいなものを、親子で一緒に考えるきっかけにしていただけるとありがたい。