「行ってきまーす!」

玄関を飛び出して習い事に行く子どもを見送って、また部屋に戻る。

洗い物、洗濯、夕飯の下準備。子どもがいないと、びっくりするほどはかどる。核家族化・共働きが当たり前になった今、子どもが家にいない時間はこんな言い方もなんだけど、結構貴重だったりする。その時間をフル活用したいのは当然だ。

でもちょっとだけ、別の視点から見てみたい。

習い事に通わせる理由、正直に考えてみた

子どもの習い事を始めるきっかけって、いろいろある。

本人が「やりたい!」と言ったから。友達が通ってるから。将来のために何かスキルをつけてほしくて。あるいは学校以外にも居場所を作ってあげたくて。家にいるとゲームばかりだから、なんてこともあるかもしれない。

きっとどれも正解で、どれも本音だと思う。

でも不思議なのは、習い事を「子どもだけのもの」として完全に切り離してしまうことが多いこと。

月謝を払って、送り迎えして、「どうだった?」って聞いて、「楽しかった」「べつに」で終わる。

それだけになってしまいがちだ。

「知らないまま」が積み重なると、何が起きるか

子どもが習い事から帰ってきて、「ねえ聞いて、今日こんなのやったんだよ!」と目を輝かせて話してくる。

「そうなんだ〜、すごいね」

この返し、何回繰り返しただろう。

内容がわからないから、「すごいね」しか言えない。褒めてるつもりだけど、子どもはどこかで気づいてる。ちゃんと聞いてもらえてるわけじゃない、って。

これが積み重なると、子どもは話さなくなっていく。

「どうせわかってもらえないから」じゃなくて、理由はもっと明確。話すことがなくなっていくから。

気づいたら子供との会話が「今日の夕飯何?」と「明日の予定は?」だけになっていた、というのは、あんまり考えたくないけど自分の家では起こらないとも限らない。

「すごいね」より「それってどういうこと?」

じゃあどうすればいいか。

子どもが習ってることを、少しだけ知っておく。

ピアノなら、今どのくらいの難易度の曲を練習してるのか。プログラミングなら、今どんなことができるようになってるのか。英会話なら、今週どんな表現を習ったのか。

全部わかる必要はない。1割でいい。

1割知ってるだけで、聞ける質問が変わる。

「今日のやつ、難しかった?」「あの曲、先週より早く弾けてた気がする」「何て言う単語、今日習ったの?」

子どもは急に饒舌になる。自分が知ってることを、知らない人に教えるのが子どもは大好きだから。親が少し知ってると、もっと教えたくなる。

食卓が、どうでもいいテレビを観ている時間が、急に賑やかになったりする。

大人になってから「知らない世界に入る」体験は、貴重すぎる

子どもの習い事をきっかけに、自分も何か新しいことを始めてみるという選択がある。

大それたことじゃなくていい。子どもが教室で頑張ってる横で、自分もスマホを開いて「今日子どもが習ってることって何だろう」と検索してみる。少しだけ予習してみる。それだけでいい。全部を理解できなくたって構わない。

帰り道に「今日のやつ、どういう仕組みなの?」と聞ける。子どもが急に先生になって、30分くらい喋り続けたりする。

小さくていい。でも「知ろうとした」という事実が、会話を変える。

そしてもし余裕が出てきたら、自分自身の「やってみたいこと」を持ってきてもいい。ICT教育デジタルの波は、子どもだけに向いてるわけじゃない。動画編集、写真加工、SNSの発信——大人になってから触れる新しいスキルは、思ってるより面白かったりする。

大人になると、「何もわからないゼロの状態で何かを始める」機会が極端に減る。

仕事では知ってて当然のプレッシャーがある。「今さら」という声が頭の中で響く。失敗したら恥ずかしい、続かなかったらみっともない、そんな気持ちが先に立つ。

でも子どもは、そんなこと考えずに始める。転んでも、できなくても、また来週行く。

その姿を横で見ながら、自分も何かを始めてみる。

「今さら」なんてない。子どもが証明してくれてる。

同じ空間で、違うものを学ぶ

「一緒に学ぶ」というと、同じことをやるイメージがあるかもしれない。

ハニホヘトイロでは、子どもがゲームを作ってる隣で、お母さんがスマホで動画編集を覚えてたりする。「これどうやって撮っんですか?」と聞いたら、子どもが教えてくれた、なんてこともしょっちゅうだ。

同じ空間で、それぞれが何かに集中してる。

その時間が積み重なると、家の中に「学ぶことは普通のことだ」という空気ができていく。言葉で言わなくても、子どもは自然と感じてる。

そしてある日、子どもが「これ見て!できるようになった!」と画面を見せてくる。

「どうやったの?」って聞ける。

その「どうやったの?」は、いままでとは意味が違う。本当に知りたいから聞いてる。それが子どもに伝わる。

「ちゃんと興味を持ってもらえてる」という感覚は、子どもの自信になっていく。

「できない自分」を見せられる親でいること

もうひとつ、大事なことがある。

子どもの前で、「できない」「わからない」を見せられる親でいること。

「お母さんもこれ、全然わからないんだよね」と正直に言える。「やってみたけど難しかった」と笑って言える。

子どもは親のことを、何でもできる完璧な存在だと思いがちだ。だから自分がうまくいかないとき、「なんでできないんだろう」と必要以上に落ち込んだりする。

でも親が「わからないけど調べてみる」「できなかったけど楽しかった」という姿を見せてると、できないことが怖くなくなっていく。

失敗しても続けてる背中を、言葉じゃなく見せられる。

それは習い事の月謝には換算できないものだと思う。

子どもが家にいない時間も、一緒にいる時間も、どちらも貴重だった

最初の話に戻る。

子どもが家にいない時間は、貴重だ。家事も仕事も集中できる。ちょっと休憩だってもちろんアリ。それらにはちゃんと価値がある。

でも、子どもと同じ空間にいる時間は、もっと貴重であると信じてる。

習い事に一緒についていって、隣で自分も何かをやってみる。子どもと「できた!」や「どうやったの?」を互いに言い合える。子どもと同じ目線でモノを見る機会が、習い事をきっかけに増えていくはず。

そしてその積み重ねが、10年後20年後の親子関係をつくっていく。

習い事は、子どもを預ける時間じゃなかった。親子が一緒に何かを持ち帰れる時間だった。

子どもを送り出すんじゃなく、一緒についていくっていう選択肢があってもいいんじゃないかなって。それをいまハニホヘトイロでやってます。

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