「子供は遊ぶことが仕事」という言葉がある。言いたいことはわかる。わかるんだけど、実際に目の前で何時間もゲームをやり続けている子供を見ていると、その言葉をそのまま受け止めきれない親御さんは多いんじゃないかと思う。
「宿題は?」「ご飯だよ」「もう寝なさい」と声をかけるたびに無視されたり、かんしゃくを起こされたりを繰り返していると、だんだんそのハマりごと自体を取り上げたくなってくる。気持ちとしてはよくわかる。
ただ、ちょっとだけ待ってほしい。
自分が子供だった頃を思い出してみる
少し昔に戻ってみよう。
テレビが家庭に普及してきた昭和中頃、子供たちはテレビに釘付けになった。当時の大人たちは口を揃えてこう言っていたらしい。「テレビばっかり見てると頭が悪くなる」。
昭和の終わりにファミコンが登場すると、今度はゲームに夢中になった世代が生まれた。「ゲームばっかりやってると〜」という言葉は、その頃からずっと使われ続けている。
その後は漫画ブームがきた。少年ジャンプの発行部数が600万部を超えた時代の話だ。「漫画ばかり読んでると〜」という台詞は、その頃の親たちの口癖だったはずだ。
テレビ、ゲーム、漫画。それぞれ「よくない」と言われ続けてきたメディアだけれど、それぞれから学べることは実際にたくさんあった。
たとえばテレビ。ドラマやドキュメンタリーで、子供は「世の中にはいろんな生き方をしている人がいる」ということを知る。地理や歴史、料理や科学が出てくる番組は、教科書より先に知識を与えてくれることもある。ニュースを毎日見ていた子供は、社会の動きに早くから関心を持つようになったりする。
ゲームはどうか。空間認識能力や論理的思考との関連性を指摘する研究は、近年いくつも出ている。ロールプレイングゲームなら長大なストーリーを読み解く読解力、シミュレーションゲームなら資源配分や優先順位のつけ方。「ゲームで鍛えられた」と大人になってから気づく能力というのは、案外多い。
漫画はどうだろう。ボキャブラリー、モノの例え方、感情の起伏の読み方。コマの流れから時間経過を掴む視覚的な読解力。漫画家を目指さなくても、絵や構成への感覚が養われた人は多いはずだ。「漫画で字を覚えた」という人もいれば、「あの漫画のキャラクターに影響を受けて今の仕事に就いた」という人も普通にいる。
普通、学ぶっていうのは少なからず努力が必要だ。楽しみながら勝手に学べるなんて、こんな都合のいい話はない。それをやってくれているのが、子供のハマりごとだったりする。
大人だってやってる
今や、通勤電車内を見渡すと、ゲーム機で遊んでいる大人や漫画を読んでる大人が普通にいる。残りはみんなスマホとにらめっこしているけれど、その画面に映っているのはゲームか漫画かSNS動画か。もちろん新聞や真面目なニュース、学習コンテンツを見ている人もいるだろうが、どうやらそういった層は半分いるかいないかのようだ。
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つまり、大人もやっている。
かつて「ゲームばっかり」「漫画ばっかり」と言われていた世代が、今は社会人として電車に乗りながらスマホでゲームをしている。それで社会が崩壊したかというと、そんなことはなかった。
子供の頃にハマったものが、直接「職業」に結びつかなかったとしても、何かしら影響を与えていることは多い。ゲームが好きだったからプログラマーになった人もいれば、漫画が好きで編集者になった人もいる。テレビっ子だったから映像関係に進んだ人もいるし、全然違う職業についていても、当時の経験が「センス」や「視点」として残っている人はたくさんいる。
「やめさせる」より「やることをやらせる」
ここからが本題だ。
ハマりごとを「やめさせる」ことがゴールになってしまうと、子供との消耗戦が始まっていく。毎日同じことで怒って、子供は反発して、親は疲弊して。その繰り返しが続くと、ハマりごとの中身なんかは関係なく、ただただ「禁止する・される」という構図が生まれてしまう。
健全な遊びなら、いくらでもやったらいいと思っている。
ただ、「健全かどうか」の判断をどこに置くかというと、それは「やるべきことをやっているかどうか」だ。
宿題がある。お手伝いを頼まれている。ご飯の時間がある。そういった「やること」を済ませてから、好きなだけやる。この順番さえ守れるなら、ハマりごとそのものをやめさせる必要はないと思っている。
時間制限をかけることが悪いとは言わない。ただ、「宿題がまだだから1時間までね」という制限より「宿題が終わったら好きなだけやっていいよ」という提示のほうが、子供にとっては良い動機付けになりやすかったりする。「やめさせられる」ではなく、「やることをやったらできる」という感覚の違いは案外大きい。
ハマりごとは「今の子供」の語り口
少し前の話をすると、ポケモンが流行ったとき、子供たちは全151種類(当時)の名前とタイプと進化条件を全部頭に入れていた。大人が「そんなに覚えられるなら勉強にも活かせばいい」と言うのはわかるけれど、子供たちは好きだから覚えたのだ。努力した感覚すらなかったはずだ。
今の子供たちがゲームの攻略情報を調べるために英語のサイトを読んでいたり、好きなYouTuberのために動画編集に興味を持ったり、推しのキャラクターを描くために独学でイラストを上達させていたりするのは、珍しい話じゃない。
ハマりごとというのは、その子の「今いちばんホットな語り口」だ。そこを完全に封じてしまうのは、もったいないと思う。
やめさせるべきかどうか、という問いへの答え
「健全なハマりごとはやめさせなくていい」というのが、結論だ。
ただ、問題になるのは際限がなくなることだ。ご飯も食べない、睡眠も削る、学校の準備もしない、ということが続くようなら話は別だ。そこは「やめさせる」ではなく「やることを先にやる」という仕組みを一緒に作っていくことが必要になる。
ハマりごとから将来の夢が決まることもある。そうじゃなかったとしても、何かを夢中になって追いかけた経験は残る。「好きなことに没頭できた」という感覚は、大人になってからの行動力につながったりもする。
今の時代に大人が電車でスマホゲームをしていることを責める人は少ない。かつてテレビやゲームや漫画に夢中だった世代が、それぞれに何かを学んで、今の社会をつくっている。子供のハマりごとも、きっとそういうものだ。