「ただいまー!」帰ってきたと思った我が子が、ランドセルを玄関に放ってそのまま「いってきまーす!」と遊びに行く。そんな光景は時代と共に少なくなってきていると思う。どちらかというと、帰るやいなやゲーム機やタブレットに直行し、オンラインで学校の友達とゲームを遊んでいる方が「今っぽい」子供の生態に近いかもしれない。
子供なんだから、友達と遊ぶこと自体なんら問題ない。ただ、この工程ではいくつか問題が発生する。
- 宿題やるの忘れてた
- 先生から渡されたプリントがランドセルの底で眠っている
これでもまだマシな方だ。夜になって突然「明日家庭科で調理実習があるんだけど…」 やめてくれ、その先は聞きたくない。我が子よ、ウチは百均でもなければスーパーでもない。家になんでもあると思ってもらっては困る。そんな冷静なことを考えているヒマもなく、気付けば自転車を全速力で漕いでいる。
なぜこうなるのか
話は単純で、家に帰ってきたらまず手洗いうがい、その流れで提出物を親に渡して先生からの大事な伝言を伝え、宿題を終わらせる。うん、最高の子供だ。どう育てればそんな子になってくれるのかという話である。
ひとつずつ流れを追っていこう。
まず手洗いうがい。いろんな大変なことをみんな乗り越えてきた。今やこれをしない子はほぼいないだろう。するのが「当たり前」で育ってきた。次に提出物と伝言。ここから一気にハードルが上がる。これは「毎日あるとは限らない」という厄介な性質を持っている。そうなると「今日はプリントもらってきてない?」とこちらから聞かなければならないわけだが、親だって忙しい。毎日聞ける状況にあるとも限らない。それに、残念ながらエスパーの素質は持ち合わせていない。「そろそろ調理実習があるんじゃない?必要なものがあれば買ってくるよ」なんて先回りして聞くのは不可能だ。
最後に宿題。これは前回書いたものを読んでいただけると嬉しいが、ざっくりいうと、先にやることをやれば、あとは好きにさせてあげていいんじゃないかという話なので、先に宿題さえすればなんとかなるはず。でもそれが難しい。
子供が毎日ずっとやめてくれないハマりごとはやめさせるべきなのか
自主性のありかを探す
本人の自主性に任せることができれば万事解決するはずだ。自主性がまったくない人間なんてそうそういないと思うけど、ウチの子の自主性はどこに行ってしまったのだろう。わからないときは自分に置き換えて考えてみるのがいい。なんていったって、自分にだって子供だった頃はあるんだから。
そして気付く。自分がいま子供に口酸っぱく言っていること、よく怒っていること、全部じゃないにしても、自分も言われていたかもしれないと。
このままでは解決しないので、もう少し最近の自分に置き換えてみよう。例えば家事。掃除が好きな人は「この汚れが取れる瞬間がたまらない」とか「こんなにキレイになって気持ちいい」みたいなモチベーションが、次もまた掃除しようという気持ちを生む。料理が好きな人は「家族の感想と笑顔で満たされる」とか「味見しながらお酒を飲み、今の自分用にツマミをもう一品」みたいなご褒美が、明日もまた同じことをできる力に変えてくれる。
この、自分の感情から次回の行動をコントロールすることって、実はすごく難しいと思う。本人はそんなつもりがなくても、何度も何度も、それこそ訓練のように繰り返し行われて身についた、言わばスキルだ。このスキルはどうやって習得できたのか。
きっとなにも難しいことはしていないはず。誰でも持っているスキルなんだから。
自主性は「小さな言葉」の積み重ねで湧き出る
僕はこれを、ちょっとした声がけの積み重ねだと考えている。帰ってきたら「おかえり」と言うように、提出物を出してもらったら「ありがとう、先生は他に何か言ってた?」、宿題が終わったら「頑張ったね。じゃあご飯までは遊んでていいよ」といった、何気ない言葉でいい。「ありがとう」とか「頑張ったね」とか、よくある言葉で構わない。それでも十分「褒められた」と感じて、少しずつ明日の行動へ影響を与えていく。理由は単純で、小さな言葉であっても明日もまた褒められたいからだ。
手洗いうがいだって、必死に子供を守りたくって、できたら褒めるを繰り返してきたんじゃなかろうか。
わかっている、この毎日のルーティーンに持ってくるまでが一番大変なのである。これも言葉の使い方の工夫でどうにかできないものだろうか。散々試したであろうことは承知で、それでも騙されたと思って続けてほしい。
【提出物と伝言】 「今日は学校で何かもらってきた?お父さんお母さんに渡すように言われたものはない?」
ほとんどの連絡事項はアプリで学校から直接送られてくる学校も多くなってきていると思う。それでもたまにプリントが我が家にやってくる事実がある以上、毎日聞くことを諦めてはいけない。低学年であれば「ランドセルの中のお片付け」と称して一緒に中身を確認し、ママ友との連絡も絶やさないようにする。そして、自分がプリントを発掘したとしても、「一緒に見つけられたね、えらいね」と声がけをする。 時間の都合上難しいこともあるだろう。自分だって疲れている。無理はしなくて良い。それでもできる限り続けてほしい。ほんのちょっとだけ未来に待っている、子供の見違えるような成長と、自分の時間確保、感情整理のために。
【宿題】 「いってきまーす!」やゲームを始めようとしたとき、欠かさず宿題の存在を確認する。というか大抵はあるはずだ。帰ったらやる、終わったらやるは許さない。特にゲームはお風呂やご飯までに終わるかも微妙なのに、宿題に割く時間などあるはずがない。
「何時何分にどこ公園って決めてるから、遅れたらみんなとはぐれちゃう」そんな言い訳をしないように、土日両日かけてルール改定をしっかり子供に周知し約束しておく。もちろん、その後は自由にしていいというニンジンをぶら下げてだ。これで月曜日からは「宿題終わってからじゃないと遊びに行けないから、着くの遅くなるけど待ってて」と約束の方法を自分で変えられるようになる。ならなかったらたまたま本人がそういうプランを思いつかなかっただけだ。「どうすれば宿題を終わらせてもみんなとはぐれないかな?次はどんな約束をすればいいかな?」と、本人に考えさせてあげよう。これが自主性への第一歩になる。
これは我が子にとって大きな一歩である一方、継続しなければ半歩戻る、もしくはゼロに戻る危険性もある。子供の未来のために、そして自分の精神衛生と時間確保のためにも、粘り強く付き合っていこう。
あくまでも一例
ちなみにウチの小学5年生は、「宿題」と「遊びに行きたい」を両立するために、宿題を持って友達の家に遊びに行くことがある。その友達も息子に課されたルールを理解して、一緒に宿題に付き合ってくれているらしい。本来であればその友達の宿題でもあるわけで、付き合うというのもおかしな話なのだが、一人でもハッピーな人が増えるのであれば細かいことは気にしない。
自分の自主性が生まれたきっかけを探す。そうすると、実は結構身近だったり、なんでもないことがきっかけだったと再発見できたりする。ハニホヘトイロが実践している「やり方ではなく考え方を考える」というアプローチは、こういうところでも効いてくるよ、と添えておきたい。