うちの教室に来る親御さんから、こんなことを言われた。
「うちの子、タブレットで何かやってるんですけど、何してるのかさっぱりで……」
さっぱり、って言いながら少し笑ってた。でもその顔は、どこか困った顔だった。
正確に言うと「困ってる」というより、「入れない」という感じに近かったと思う。
もしもバスケ少年の親になったら…
ちょっと想像してみてほしい。
小学3年生の男の子が、急に「バスケやりたい」と言い出したとする。
親は最初、よくわからない。3歩歩いたらダメってどういうこと?ダブルドリブルって?なんであの子だけあんなにシュートうまいの?
でも、毎週土曜の朝、体育館に通い続けるうちに、気づいたらめちゃくちゃ詳しくなってる。
「今日はディフェンスの寄りが遅かったね」とか「あのポイントガード、ターンオーバーが多い」とか、帰りの車の中でそんな話が自然にできるようになる。
子どもが「プロになりたい」って言い出したら?
一緒に強豪高校を調べて、強豪チームや強豪校への入団・入学テストのスケジュールを確認して、練習に使える体育館を探す。Youtubeで試合映像を漁る。「この選手のドリブル、お前に似てるな」とか言い出す。わかんないなりに全力で付き合う。
それが「応援する親」だと、たぶん誰もが思ってる。
でも、デジタルになった瞬間に「観客ゼロ」になる
ところが。
同じ子どもが同じ熱量で「ゲームを作りたい」「プログラミングがやりたい」って言ったとき、親の反応が変わる。
「へえ、すごいね」で終わる。
それ、バスケで言ったら試合すら観に来ないどころか「バスケってどんな競技ですか?」のレベルで止まってるのと同じだから。
なんでだろうな、と思う。
なんなら、バスケをやってる子が何時間も練習したり動画を観るのは許容されるのに、ゲームを作りたい子がゲームを何時間もやってるとなぜか怒られる。
デジタルは「わからない」が「怖い」に変わるのが異常に早い。
スマホはLINEとカメラと地図アプリ、あとはSNSをながら見くらいできるけど、それ以上触るのは怖い。子どもに聞いたら負けな気がする。変なとこ押して壊したらどうしよう、という謎の緊張感がある。
でも、バスケの「3歩歩いたらダメ」だって最初は意味不明だったはず。
違いは、「体育館に行ったかどうか」だけじゃないかと思ってる。
子どもたちの教室に、何が来ているか知ってる?
2020年度から、全国の小中学校で児童生徒1人に1台タブレットが配られるようになった。GIGAスクール構想という国の施策だ。ざっくり言うと「デジタル教育を日本全体でやるぞ」というプロジェクト。
2024年度からは高校で「情報I」が必修科目になって、翌2025年からは大学入学共通テストにも追加された。プログラミングや情報処理が、入試で問われる時代になった。
これ、バスケで言うと「学校の授業にバスケが必修科目として加わりました。大学受験にも出ます」くらいのインパクトだ。
子どもたちはもうその世界に入っている。
親だけが外にいる。
親は応援席に座るだけでいい
ここで大事なことをひとつ言わせてほしい。
親が「プレイヤー」になる必要は、まったくない。
プログラムが書けるようになれ、とか。タイピングをマスターしろ、とか。そういう話じゃない。
バスケの話に戻ると、子どものバスケを応援するお父さんが全員プロ選手になる必要はない。でも、「3歩歩いたらダメ」くらいは知っておいたほうが、子どもと試合の話ができる。「今日のプレー、あそこよかったな」って言える。
デジタルも同じで、子どもが「今日Scratchでゲーム作った」って言ったとき、「スクラッチって何?」じゃなくて「どんなゲーム?見せて」って言えるかどうか。
それだけで、全然違う。
「肌感覚」って言葉が一番近いと思う。細かいことは全部わからなくていい。でも、「こういうものがある」「こういう世界がある」という感覚だけは、持っておいてほしい。
「将来デジタルの仕事したい」って言われたらどうする?
子どもが「プロバスケ選手になりたい」と言ったら、一緒に強豪高校を調べる。「料理人になりたい」と言ったら、調理師学校の情報を集める。「声優になりたい」と言ったら、養成所を調べる。
じゃあ、「ゲームを作る仕事がしたい」「アプリを作りたい」「AIの研究をしたい」って言われたら?
「そうか、頑張れ」だけで終わってしまう親が、正直すごく多いと思う。
でも今の時代、デジタル関係の仕事って本当に幅が広い。プログラマー、デザイナー、企画職、プロデューサー、AIエンジニア、データ分析、UXリサーチ……プログラミング自体は1行も書かない職種だって山ほどある。文系出身でも全然いける仕事がたくさんある。
子どもが「将来この方向に行きたい」と言ったとき、「どんな学校があるか」「どんな仕事の種類があるか」を一緒に調べてあげられなかったら…考えたくないけど決して”ない話”ではない。
そうならないためにはきっと最低限の「肌感覚」が必要で、その肌感覚は子どもの横で見てるだけでも、ゆっくり育っていく。
「わからないから任せた」より、「よくわからないけど一緒に調べよう」の方が、子どもには100倍響く。
怖くない。触ったことがないだけ
デジタルが「怖い」と感じる理由のほとんどは、触ったことがないからだと思う。
難しいとか、センスがないとか、そういうことじゃない。ただ「慣れてない」だけ。
僕が運営しているハニホヘトイロという教室では、子どもだけじゃなくて、できるかぎり保護者の方にも隣に座っていてもらうようにしている。
お子さんが「こうすればこうなる!」を発見した瞬間を、一番近くで見ていてほしいから。
最初は「私は全然わからないので……」って遠慮してた保護者の方が、気づいたら一緒になって「これどうやるの?!」ってなってたりする。
バスケの体育館に毎週通ってたら、いつの間にか詳しくなってたのと、まったく同じことが起きる。
デジタルも、結局は「慣れ」だ。
親子で同じ画面を見られたら
日本の家庭でよくある光景を、たぶん想像できると思う。
リビングで子どもがタブレットを触ってて、親は横でスマホを見てて、お互いに別の画面を見てて、会話がない。
でも、子どもが作ったゲームを「見せて」って言えたら?「これ、どうやって動かすの?」って聞けたら?
会話の入口が一個できる。
別にプログラミングの専門的な話じゃなくていい。「どんなゲームにしたいの?」「誰に遊んでほしいの?」そういう話だってできる。
ゲームの話が、将来の話になる。将来の話が、子どもが本当に考えてることを引き出す入口になる。
親がデジタルを「わからないもの」として距離を置き続けると、子どもが一番夢中になっている時間に、親が入り込める余地がどんどん消えていく。
全部わからなくていい
バスケのルール全部知らなくても応援できる。
料理の作り方全部知らなくても「美味しい」って言える。
デジタルも同じで、全部わからなくていい。
「Scratchってなんですか?」を子どもに聞いてみること。「このゲーム、どこが一番難しかった?」って一言かけてみること。「ちょっとやり方教えて」って言ってみること。
それだけでいい。
子どもは、自分が夢中になってることを親に話せる瞬間が、めちゃくちゃ嬉しい。教えてあげる立場になれることが、嬉しい。
「うちの子、最近何考えてるかわからなくて」って悩む前に、子どもが夢中になっている画面を、ちょっとだけ覗きに行ってみてほしい。
最後に
僕がハニホヘトイロを始めたのは、子どもに「考える力」をつけてほしいからだけじゃない。
子どもが夢中になっているものを、親が一緒に覗き込めるような場所を作りたかったから。
デジタルが得意な子と、デジタルが苦手な親が、同じテーブルで「一緒に面白いものを作る体験」を共有できたら、何かが変わると思ってる。
「全部教えてもらえる場所」じゃなくて、「一緒に考えてみる場所」として。
無料体験、やってます。お子さんだけじゃなくて、保護者の方も一緒にどうぞ。わからなくて当然なので、気にせず来てください。