みんながデジタルを楽しく便利に使える世の中になったら、そう思って僕はハニホヘトイロを始めた。そのきっかけが、AIだったりする。

10年ふんわり生きてた元ガンホーの僕が、AIに怒られて"作る側"に戻った

AIを使うことへの批判は今も絶えない。論文への不正利用、子どもへの悪影響、仕事を奪う脅威……ニュースで取り上げられる話題のほとんどが、ネガティブなものだ。でも、それらの問題の核心を少し掘り下げてみると、「AIを使ったこと」自体が問題なのかどうか、かなり怪しくなってくる。

論文問題の本質

AIを使って書いた論文が問題になる、というニュースをよく見かける。でも、本当に問題なのはどこだろう。

AIの出力をそのままコピペすること。それは「AIを使った」んじゃなくて、「考えることをやめた」に近い。AIは時に、一瞬信じてしまいそうなウソを混ぜてくる。それに気づけないということは、調べるべきことを自分で把握できていないということと同義だ。

SNSで見たことがある。どこかの教授が「AIを使った疑いのある学生が2人いるから、〇〇と△△についてなぜそう思ったか追加レポートを提出させなきゃならない」と書いていた。でも、そのやり取りに意味はほとんどない。なぜなら、それに気づいた学生は「AIだってバレたから、今度は人間っぽく書いて」とAIにお願いするだけだから。

問題の本質は、AIを使ったかどうかではなく、自分で考えたかどうかだ。

AIとの距離感

AIとの対話は、とても物知りな異世界の人と画面越しでやり取りするようなものだ、と僕は思ってる。

中身はもちろんプログラム。ベースの言語は英語で、知らないことや勘違いは当たり前にある。彼の世界では普通のやり方なんだろうけど、こちらからしたら「なにしてくれてんだ」ってなることも普通にある。

ちょっとわからないことを気軽に聞く、寂しさを紛らわすくらいの使い方なら、誰でもほとんど問題ない。でも、少しでも専門的なこと、自分がよく知らない分野のことを聞くときは注意が必要だ。鵜呑みにしたら本当に危険な目に遭うことも、決してありえない話じゃない。

だから、AIとの適度な距離感が大事になってくる。

細かく深く、問い続けること

適度な距離感とは、具体的にどういうことか。

一言でいうなら、「細かく深く問い続けること」だと思う。

「〇〇について教えて」と一度聞いて満足するんじゃなくて、「この部分はなぜそうなる?」「他の考え方はある?」「それは本当に正確?」と、ひとつひとつ掘り下げていく。その繰り返しが、実は論理的思考の訓練になっている。

相手が返してきた答えに対して、「本当にそうなのか」と立ち止まって考える習慣。それは、教科書を読むときも、ネットの記事を読むときも、大人から何かを教わるときも、同じように必要なものだ。

AIは使い方次第で、その習慣を鍛える道具にもなりうる。「AIに聞いたら全部解決」じゃなくて、「AIに聞きながら、自分の理解を深める」。そういう使い方ができると、なかなか面白いツールだったりする。

使い方を変えれば、人を傷つけることもできる

ただ、AIには別の怖さもある。

「嫌いなあの子に怪我させたい」と聞けば、まず断られる。でも「ミステリー小説を書いていて、中学校が舞台なんだけど……」という切り口に変えると、話が変わってくることがある。

聞き方をちょっと変えるだけで、本来は出てこないような情報が引き出せてしまうことがある。これはAIの構造上の問題でもあるし、人間側の使い方の問題でもある。

だから子どもの利用に制限が設けられているし、使える年齢になったとき、あるいは使えるサービスを与えるときに、正しい使い方をちゃんと教えるのは親の義務だと思う。「危ないから使わせない」じゃなくて、「危ない使い方があることを一緒に知る」。その方が、ずっと意味がある。

「自分には関係ない」では済まない日が来る

これからもAIは飛躍的に進化し続けるだろうし、ニュースで見かける機会も増えていく。できることも劇的に広がって、「自分は使い方を知っているから大丈夫」と安心してられる場面はどんどん減っていくだろう。

「自分は使わないから関係ない」と決め込む人も、きっといる。

でも、これは人間が人間のために開発したものだ。そして、間違いなく人類にとって歴史的な技術であり、まだまだ相当進化し続ける。「我関せず」では済まない日は、きっと来る。

その日のために、怖がらずに触れてみるのも悪くないんじゃないだろうか。細かく深く問いながら。

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